磯部神社 ― 志摩の磯部を探検(3)

風呂屋の谷で真っ黒な心を洗い流し、清々しい気持ちで次の目的地へと歩みを進めます。
宿泊予定のTabist ステーションホテル磯部 伊勢志摩に向かいつつ途中で寄り道する作戦です。

磯部の御神田(おみた)

風呂屋から徒歩5分、国道から磯部の御神田が見えました。
併設されている御神田館もお休みだったので少し離れたところから遠景だけパシャリ。

田植え祭りはこの柵の中でおこなわれるのかな?

空がやばいです…

磯部神社

御神田の証拠写真を撮ってから徒歩7~8分、磯部神社に到着です。

御祭神が多すぎて数えきれない

明治期町村制による合併一町村一神社を標準とする合祀政策により、それまで各集落ごとにあった神社を集合させた結果、御祭神が49柱になってしまいました。

御由緒には37柱のお名前は見えるものの12柱不詳となっています。
増えすぎて数えきれなかったのでしょうか…

いやいや不詳は無いでしょう~

皇国史観的にマズいお名前でもあるのかな?

元は正月殿

この場所は磯部神社になる前は正月殿という場所でした。
今でも毎年元旦には正面鳥居の真ん中からご来光を拝むことができます。

そしてその初日の出は正月殿から天岩戸、伊勢神宮内宮、外宮を一直線に結ぶそうですよ!

地名の由来は磯部氏

前項でも触れたとおり、明治22年町村制の施行により域内11の村合併答志郡(とうしぐん)磯部村が発足します。
明治29年に所属郡が志摩郡へと変更され、昭和30年度会郡神原村(わたらいぐんかみはらむら)の一部を編入するとともに的矢村と合併し、現在の磯部町となりました。

磯部という地名は古来よりこの地に住んでいた磯部氏にちなんだものだそうです。

チョット余談

上記の神原村は私個人的にちょっと興味がありまして、地名の由来を調べてみました。

こちらも明治22年の町村制で生まれた地名で、合併した7つの村の中心的な役割を果たしていた神津佐村(こんさむら)と山原村(やまはらむら)からそれぞれ「」と「」を取って掛け合わせた合成地名だそうです。

古くからあった地名という訳ではないのですね~
ちなみに正式な読みは「かみはらむら」ですが地元民からは「かんばらむら」と呼ばれていたそうです。

神明造りの社殿

社殿は当たり前のように伊勢神宮と同じ神明造り

磯部村の地名の由来となった磯部氏は古くからこの地に居住し神役公役を務めており、神宮および伊雑宮との深い結びつきがあります。一説には伊勢神宮外宮祠官の度会氏とも関係があるとかないとか。

式年遷宮

こちらの空き地は式年遷宮跡地で現在の社殿の隣にあります。
式年遷宮は一定期間で社殿を新しい場所に移す(建て替える)儀式で、出雲大社は60年に一度、伊勢神宮は20年に一度行われており、磯部神社も神宮同様20年に一度の遷宮がおこなわれます。

磯部神社は旧社格村社という、一般的には地元の氏神様とよばれるような神社。
そんな村の鎮守が伊勢神宮と同じように神明造りの立派な社殿を持ち、遷宮まで行われるというのはちょっとただ事ではありません。

合祀前の郷内40余社が伊雑宮の摂社・末社のような関係にあり、磯部神社にも受け継がれたことがうかがわれます。

千木は内削ぎ

一般的に千木というのは先端が縦にカットされている縦削ぎ男性神で先端が水平にカットされている内削ぎ(または横削ぎ)は女性神と言われています。
しかし出雲王家の伝承では縦削ぎ出雲式内削ぎ九州式と言われています。

磯部神社の場合、主祭神の正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)は天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた五皇子の長男ですから男性神です。一般的な性別基準だと縦削ぎになるはずですが磯部神社の千木は内削ぎ。
海洋民族として九州との繋がりも深かった磯部氏の神社ですから、九州式の内削ぎと考えるのもアリなのかもしれません。

ちなみに伊勢神宮は内宮が内削ぎで外宮が外削ぎ、伊雑宮は内削ぎです。

社殿の建築|神宮について|伊勢神宮
https://www.isejingu.or.jp/about/architecture/index.html

ここでも六芒星

伊雑宮の前にあった六芒星入りの灯篭がこちらにもありました。

拝殿でもれなくお塩もらえます

と、何かのキャンペーンみたいに書きましたが、お賽銭箱の横に神さまにお供えしたお下がりの塩が置いてあります。ジップ袋も用意してあったので有難くいただいてきました。

磯部では古代から製塩もおこなわれていて、製塩窯跡の遺跡も発掘されています。
そんな由緒のある神聖なお塩を分けてもらえるのは本当に嬉しいですね。

社務所に入れてもらう

御朱印をいただいてホテルへ向かおうと思ったところ、急に雨足が強くなってきました。
社務所の軒先をお借りして雨宿りしていたおかげで宮司さんとお話する機会をいただき「良かったら中に入っていってください」というお声までかけていただきました。

せっかくの機会なのでお邪魔する事に。

宮司さんは趣味で焼き物を焼いているそうで社務所内には自身の作品がずらり。いや趣味のレベル越えてます。普通に売っててもおかしくない作品ばかりでした。旅先じゃなかったら売ってほしいとお願いしてたかも。(残念ながら写真はありません)

お話は焼き物から床の間に飾られている品々へ。

こちらの掛け軸と真ん中の銅像は聖徳太子で、手には差し金を持っています。
モノサシの神様と言えばオモイカネだと思ってたけど、どうやら初めて日本に差し金を持ってきたのが聖徳太子だったようです。

この掛け軸はネットで見つけてポチったそうですよ。

他にも御神田の御田植祭についてや、宮司さんが兼務している神社について、ほかにも色々お話してくれました。

磯部神社は各方面から注目されているらしく、物部の研究をしている団体とか、スピリチュアルな方々、さらには「むっちゃん先生」でおなじみの第73世 武内宿禰 竹内睦泰さんや、月間ムーの編集長 三上丈晴氏なども訪れているそうです。

翌日には宮司さんに教えてもらったおかげで天の岩戸にも行くことができました。

いただいた名刺には
磯部神社、的矢村神社、坂崎 宇氣比神社、天ノ八衢神社
の四社のお名前が。

その場では宇氣比神社が「うけい」なのに気を取られて気付きませんでしたが、天ノ八衢神社も兼務してるんですね。天ノ八衢神社といったら前々回のブログで触れた神武参剣道場の敷地内にあった神社。

その場で気付かなかったのは残念!またあらためてお話をうかがいに行きたいですね!

色々親切にしていただいている間に雨も止んだので、宮司さんにお礼を言ってホテルへ向かいました。

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