三備の一宮-古代吉備国探検2ヵ所目

吉備津彦神社の次は元宮の磐座へ行きたかったのですが、あいにくの雨に加えて道のりがけっこうな登山だという事で、今回は断念して吉備津神社へ向かう事にしました。

磐座へ向かう道。入口からやばい雰囲気が漂っています。

吉備津神社

先に行った吉備津神社は吉備津彦の住んでいた場所でしたが、今回の吉備津神社は吉備津彦命を吉備国の祖神として崇めるために建立されたのだそうです。

こうして見ると神社ではなくお城のようにも見えますね。

三備の一宮

吉備津神社が備前国一宮と称されているのに対し、吉備津神社は三備一宮と呼ばれています。これは元々吉備国という一つの国だったのが前、中、後という三つの国に分割されたため、その頭文字をとって三一宮と称されるようになりました。

犬養毅との関係

第29代内閣総理大臣、犬養毅の祖先は桃太郎のお話に出てくる家来の犬だそうです。

犬が祖先ってなんだよ!って思うかもしれませんが、吉備津彦の時代には技術を持った集団部民(べみん)と呼び、犬を飼育し色んな技を仕込む技術をもった部民を犬養部、鳥を扱う技術を持った部民を鳥飼部と呼んでおり、吉備津彦の温羅退治で活躍した犬養部は、鳥飼部はキジとして桃太郎のお話に登場します。

他にも漁業や航海技術を持った海部(あまべ)、埴輪や土器、古墳建造技術を持った土師部(はじべ)、軍事に携わった物部(もののべ)など、いろんな技術を持った部民がいたそうです。

比翼入母屋造りの本殿

本殿は比翼入母屋造りというとても美しい建築様式で、全国でここだけに採用されているため吉備津造りとも呼ばれています。

通常の入母屋造りは四方に屋根が広がる寄棟(よせむね)屋根に三角屋根の破風屋根が一つ乗っている形ですが、比翼入母屋造りではその三角屋根が2つ並んでおり、つがいの鳳が翼を広げている姿とも称されているそうです。

約400mの長さをほこる廻廊

社殿の右側には本殿・旧御供殿・御竈殿等の神殿を繋ぐ総延長398メートルの回廊があります。

天正七年(1579年)の再建。
両下造り本瓦葺きで、一間毎に氏子が寄進して建てられたそうです。

その他の見どころ

とても広い敷地で他にも見どころはたくさんあったのですが、この日は移動で疲れてしまったのと時間も少し遅くなってしまったので、ほどほどにしてホテルへ帰ることにしました。

境内図。なんだかお寺の境内図みたい。
親切に見どころを紹介してくださっています。
吉備津彦が空中で矢を奪い取りここに置いたという矢置岩。
あんまり岩写ってないけど(笑)
境内に入る前の山門。このあたりもお寺っぽいですね。
社務所の前に美しい庭園がありました。
廻廊内側から。
御竈殿と弓道場付近の庭園にあった石灯篭がいい味出していました。
宇賀神社で結婚式の前撮りかな?
JR吉備津駅。桃太郎線だから桃色なのでしょうか。

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